昭和49年08月25日 特別奉修委員



 デパートの中に入れられると呉服売り場、女の方は特に呉服売り場が目当てのようですね。(見ることだけでも?)できますからね。同時にあのマネキンが、マネキンの人形があると言うか色々着物が着せてあった、出してあったり。もう実に素晴らしく、まあ息とかしぶりとかというもうそれぞれの、まあ物があのお人形に着せてある。「はあ、この柄はよか」と言うてから、こうて帰って自分が着てみるとマネキンが着とったほどしでもない。結局マネキンのような姿形をしてないもんね、お互いが。
 ですからね、結局自分を知ると言う事、自分の長所欠点という事を知って、結局自分の肌合い、自分の、かっこに合うものでなからなければいけない。まず自分を知る事。合楽示現活動に参画させて頂くと言う、有り難い事ですけれども、言うならそれが猫も杓子も同じ型じゃない。(私はいつもその?)話を聞かせて頂いても、例えば熊谷さんのお話を頂いても、今朝は桜井先生の奥さんのお話を聞かせて頂いても、また中村さんですね、中村、あそこの合楽で中村さんちゅうたらもう。
 例えば昨日一日所謂その示現活動に一生懸命に御用さして貰った。その結果を聞かせて頂くと一人一人に違うんです。又佐田さんなんかの場合でもそうです、ね。言うならあのう川上さんやら池田さん辺りの様に熱心に、それこそお参りの道中にでも人に伝えねばおられんと言った様な方達の話を聞いてもです、それぞれに矢張り特色があると言う事です。結局は自分自身の頂いておる信心又は自分の一つの体質と言うかね信心の。
 それは打ち出されておるその願いと言うものは、合楽示現活動に参画と言う事ですけれども、もうとにかく相手も一人一人違うようにね、またそれを伝える者も違うんですから。ですから、自分自身の手元の所と言うか、自分自身の信心。自分の言うならば、言うなら、器量とか格好とかをまず知らなければ自分にぴったり合う物は選ばれないようにですね、そこであたくしは思うんですけれども。
 この色々とこう信心をさして頂いて、お話を頂いてもですどこをどうと言う事じゃないけれども。結局は自分にぴったりとした物を、頂いて帰らなければならないと言う事、ね。そしてまたその人にぴったりする様な私しは表現で、あの伝える言うなら伝えて行かなければならないと言う事。そこに矢張り信心の思いに乗ってと言う事がやっぱいる訳です。お話をしておっても。例えば桜井先生のお話を頂いておりましてもね。
 もうほんとに全然あのう、言うならば何にも関係のない方にお話をするのですから、ね、所がその人が創価学会の方であった。それでもは何かそんなかっこしておられるから、一生懸命お話さして頂いたら、向こうの方から今度は求めて聞かれるような、まあそのおかげの泉を読ませてくれと言われるような、「あたしもあのぜひ一つ、あのお参りがしたい」と言う様な所にまでなってくるんですね。ですからもうほんとにその、天のその持って行き具合と言うか。
 その神様のそう言う一つの、タイミングを作って下さると言うか、もうお繰り合わせを頂かなければ出来る事じゃありません。もう同じ事のようであるけれども、矢張り色合いも違やあがら合いも違った、そう言う所を一つ、今までもそうですよね、だんだん高尚になって来ますと、(あたしがこんなぐらいに?)もうどの着物(いう?)ても素晴らしいと言う人がありますように、ね。
 自分が分からんでそれこそ、マネキンが着とるけんよかと思うてこうて来て着とるような人達の場合はもとにかく似合わない、ね。似合わない、自分に似合わない信心ではいけん、ね。やはり自分の身にぴったりくる所を一つ頂いて、ぴったりするところを一つその伝えて行きたいと思うんですね、どうぞ。それにはまず自分自身がまず分かる事、自分自身を知る事だと。
   どうぞ。